コラム:教養の定義いろいろ

 名古屋大学の場合、教員は原則として大学院に所属しており、高度な専門教育は大学院で行うという認識が一般的になっています。学士課程(学部教育)では、生きていく上で必要な幅広い教養と専門分野の基礎的能力を身につけることが求められています。つまり、大きくとらえれば、今日の大学では学士過程そのものが教養教育だといえるかもしれません。

 ところで、「教養とは何か」ということについては、いろいろな解釈があります。もともと教養教育を意味するLiberal Artsは、近代大学のルーツといわれる中世ヨーロッパ大学においては、聖書を読み解くための能力(論理、修辞、文法)と神の摂理による自然現象を理解するための能力(天文、算術、幾何、音楽)から構成されていました。つまり教養とは、キリスト教世界において「神につながる」力を意味したのです。

 ドイツ中世史の研究者である阿部謹也氏(元一橋大学学長)によると、12世紀にヨーロッパで都市が発展したときに、都市の一部の人々が「いかに生きるか」を考えるようになったことが教養の始まりだと述べています。都市にさまざまな職業が発生して、それまで当然とされてきた父親の仕事を継ぐことから解放されて、自分の力で「いかに生きるか」を考える人々が出現しました。彼らは古典語(ラテン語)を駆使して「いかに生きるか」に思いを巡らしました。教養とは古典語に精通することでもありました。

 科学哲学者である村上陽一郎氏(国際基督教大学教授)は、教養とは高等教育を受けたかどうか、難しい本をたくさん読んだかどうかではないと言います。村上氏は「規矩」(きく:ものさしのこと)という言葉を使って、生きていく上で価値判断の基準となる自分なりのものさしを持っている人のことを教養があると表現しています。

 数学者でエッセイストでもある藤原正彦氏(お茶の水女子大学教授)は、人間にとって最も大事なものは論理ではなく情緒であり、国語力(つまり日本語の能力)であると主張し、アメリカ型の合理主義や英語万能主義に警鐘を鳴らしています。このように、教養の意味は時代によって、国によって、人によってさまざまに定義されてきました。あなたはどう思いますか? ぜひ、大学時代にたくさん本を読んで、教養とは何かについて考えをめぐらせてみて下さい。