本号の構成

   

1. あなたが大学で
  学ぶことの意味

・ 大学は「知の共同体」
  である

・ 大学で学ぶことの意味は
  「学識ある市民」になること

・ 学識とはどんな能力か
・ 学識とは生き方でもある
・ 「学識ある市民」になる
 ために大学ですべきこと


2.キャンパスの倫理
おわりに
コラム
さくいん



   
 

1.4 学識とは生き方でもある

 これまで、学識とは何かということを能力という観点から考えてきました。しかし、学識は知識や能力だけの話ではありません。重要なのは、それらの知識や能力がどのように生きる態度と結びついているかということです。
 このことを考えるヒントとして、ヒトの種としての特徴は何かということを考えてみましょう。ヒト以外の生物は世代から世代へと情報を伝えるチャンネルを、主に遺伝に依存しています。しかし、ヒトという種は、世代間情報伝達の手段として遺伝以外のチャンネルを発展させてきました。そして今やこれら「その他の」チャンネルに生存を大きく依存する種になっています。それこそ「文化」と呼ばれるものです。われわれの生存が、文化という世代間情報伝達手段に大きく依存していることを理解するのは容易でしょう。医薬品や効率的な食料生産やその輸送の仕組みといった科学技術の成果なしに、あなたが今日まで生き延びてこられただろうかと考えてみてください。

 しかし、あなたの生存を支えてくれている文化的遺産は目に見える科学技術に限られません。目に見えないもの、たとえば概念も重要な文化的遺産のひとつです。ここで、「人権」という概念を考えてみましょう。人類は最初からこの概念を持っていたわけではありません。人類の歴史の中で、誰かがこの概念を発明し、それを洗練させて鍛え上げてくれたわけです。でも、それだけでは人権概念とあなたの生存とは結びつきません。17 世紀ヨーロッパの思想家たちと、21 世紀日本のあなたの間にいた無数の人々が、この新たに発明された概念を次世代に次々とリレーしてくれたからこそ、「人権」という概念は現代のあなたに届いているのです。

 このリレーがどこかで途切れていたと想像してみてください。あなたのそ れなりに幸福な生存は可能だったでしょうか。人が奴隷のように他人の財産 として売買され、一生自由は与えられず、ときには気まぐれにリンチにかけ られ木から吊るされる。こういうことがちょっと前までは当たり前のように あったし、いまも世界のあちこちで起きています。あなたを生かしているの は、科学技術の成果だけではありません。概念もヒトの幸福な生存にとって 不可欠なのです。  

 よい概念、よい世界観を生み出し、それを加工・洗練させて、次の世代に 伝える。こうした営みは「よい遺伝子」を次世代に残すこと以上に、ヒトと いう種にとっては重要なことだと思いませんか。こうした世代間情報伝達を 支える制度や組織は、図書館、博物館、研究所などいろいろあります。これ らの制度、組織のうち最も重要なもののひとつが大学です。なぜなら、大学 は人類の知的遺産を保存し、次の世代に伝えるだけではなく、そのリレーを 大切に思い、それに新たに参加する人たちも生み出しているからです。  

 以上のことをふまえて、学識ある市民の生き方がどのようなものであるかを考えてみましょう。簡単に言えば、「学識ある市民」とは、次のような気持ちを持つ人々のことです。

(1)学識ある市民は、人類の知的遺産に対する畏敬の念を持つ
 学識ある市民は、自分より優れた先人がいること、自分が理解している範囲を超える知的世界が広がっていること、人類が成し遂げてきた知的成果のもとでは、自分は取るに足りない存在であることを知っている。


(2)学識ある市民は、知ること、学ぶことへの努力をあきらめない

 自分は文系だからといって、「量子力学は自分とは関係ないからいいや」とは思わない。理系だからといって、「シェークスピアなんて一生読まなくてもいいや」とは思わない。学識ある市民は、今はわからなくても、いつかはわかりたいという憧れを抱き、それを理解しようとするための努力を惜しまない。

(3)学識ある市民は、学び、知るための努力が同時に
   生きる喜びでもある

 学識ある市民にとって、学び続けることや考え続けることは、何かの手段として重要なのではなく、それ自体が人生を費やすに値するこの上ない価値である。彼らは、知らなかったことを知ることは最大の喜びであると考える。

(4)学識ある市民は、学んだことを人々のために活かそうとする
 あなたは残念ながら、パーフェクトな世界に暮らしているわけではない。だから、生きているうちにさまざまな問題に出会い、それを解決しなくてはならない。学識ある市民は、知が問題を解決する重要な手段だということを知っていて、自分が学んだことをその問題解決に生かそうと努力する。そして、それが大学という高等教育機関で教育を受けた者の果たすべき責務だということを自覚している。

(5)学識ある市民は、人類の知的遺産を次代に継承する
   リレー走者であろうとし、そのことを誇りに思っている

 学識ある市民は、自分が学んだことと知への愛を次の世代の人々に伝えるために努力する。これは、教員が学生に伝えるということに限らない。先輩は後輩に、大人は子どもに、学ぶことの喜びを態度で示す。また、学識ある市民は、次の世代が学ぶことに対する支援を惜しまない。