コラム:授業を変えると大学は変わるのかなあ

 自分たちで作成したティップスについてこういうことを言うのもナンですが、わたしたちはこのティップスを過大評価してはいません。もちろん、わたしたち教師にとってさまざまな局面でティップスが助けになる、ないよりはあったほうが絶対によいに決まっているということは信じていますけれども。

  しかし、しめくくりとして、ここではあえて、ティップスをはじめとする「それぞれの教員が自分の授業の腕を磨こう」路線がもちうるマイナス面についても触れておかねばなりません。そこで、かりにすべての大学教員がこのティップスを読み、自分の授業改善に乗り出したとしましょう。この結果、ひとつひとつの授業はとても内容豊かで、わかりやすく、学生に考える力を与えるようなものになったとします。あなたも快い充実感を感じることができるでしょう。けれどもこれで、学生の4年間の大学教育全体に対する満足度をアップさせるのに十分でしょうか? 大学が社会的使命を果たしたことになるでしょうか?

  学生が現代の市民に必要とされる高度な知識と能力を身につけ、満足して社会に巣立ってもらうためには、個々の授業が充実していることはもちろんですが、彼らが4年間学ぶカリキュラムが、全体として整合的で明確な教育目標にもとづいたものであることが欠かせません。そしてこうした教育目標の明確化とカリキュラム全体の構築は、一人ひとりの教員の個人的努力でどうなるものでもありません。

  さらに、われわれ教師が本腰を入れて授業改善に取り組もうとすると、とたんにさまざまな障害に出くわすことも明らかです。TAが足りない、カリキュラムが過密だ、会議に追われて提出物を十分にチェックできない……。ようするに、個々の教師が本当によりよい授業を行っていくためには、大学全体での教育目標の構築と、制度的・財政的基盤の構築という、大学全体として取り組むほかはない作業が前提条件として必要になるということです。このような状況下では、「教師はみんな授業の腕を磨こう。授業がよくなれば大学はよくなるのだから」という掛け声は、ひょっとしたら、こうした真の授業改善のための基盤構築から眼をそらし、問題をそれぞれの教師の個人的努力へと還元してしまうことになるかもしれません。

  むしろ、わたしたちの希望は次のことです。このティップスには、今日からできるノウハウもたくさん詰まっています。今日できることは今日からやってみましょう。それで、あなたの悩みはいくぶん軽くなることでしょう。そして、授業をよくすることが楽しくなってきたら、次にはあなたの授業をさらによくすることを阻止している要因に目を向け、それを改善するためにすこしでも力を尽くしていこうではありませんか。このティップスが、そのためのささやかなきっかけになることを祈っています。