コラム:devil's advocateを演じてみよう




 表情に乏しい若手俳優キアヌ・リーヴスと名優アル・パチーノが出演した「ディアボロス」という映画をご存知だろうか。まだ観ていない方は、ずっと観なくていいです。この映画の出来はここでの話題に関係無い。この映画の原題は「The devil's advocate」と言う。なぜ日本の映画配給会社はアホな邦題をつけたがるのかということもここでの話題には関係無い。devil's advocateというのは、ローマ・カトリックで教義を定めたり改定する際に、意図的にその教義に反対の立場(すなわち悪魔の立場)をとることによって、その教義の正当化の議論の隙をチェックし、より強い議論に支えられた教義に鍛え上げていくことを目的として任命される役割、つまりは悪魔の代理人のことを指す。映画では、キアヌ・リーヴス演じるところの辣腕弁護士が、まさに白を黒と言いくるめるdevil's advocateぶりを発揮していた。
 devil's advocateがおもしろいのは、それが相手の主張の論駁を目指したものではなく、ターゲットとなる主張をより正当化され、より強いものにすることを目的としているという点だ。相手の主張を批判することがすなわち、相手を攻撃し、傷つけることだと感じ、怖くて批判ができない学生(学者も、だったりして?)に対して、生産的批判というものがあるということを理解させるのに、この方法は有効ではないかと思う。何よりも、呼び名が気が利いている(などと言ったらカトリックの人に怒られそう)。「君の主張はおもしろいね。しかし、論拠がまだ弱いから、私はここであえてdevil's advocateの立場に立ってみよう。目的は君の主張を鍛えることであって、それをつぶすことではないからね。」という具合に、devil's advocateの役割を演じているのだぞ、ということを強調しつつ批判を行うことで、自分は間違っているわけではない、という安心感を与えながら、学生に「批判する」、「批判に答える」ということがどういうことかを理解させることができるだろう。
(情報文化学部・戸田山和久)