コラム:アンケートをとられる身にもなってくれ




 学生の視点に立ってみると、現在行われている「授業評価アンケート」には問題があるのではないかと思う。平均的な1年生は週に20コマ近くの授業に登録している。学期末になると、このすべての授業で同じ内容のアンケートが実施される。単調な作業をいくらでも続けられるということは精神的な健康という面からするとあまり好ましいことではないという説があるが、この20回近くの同一内容のアンケートにその都度まじめに答える学生がいたとしたら、私はそっちの方が心配になってしまう。このような大規模、一斉実施のような方法で信頼できるデータがとれているのか私は疑問に思う。また、学生にしてみれば、アンケートにきちんとした評価ないしは改善意見を書くことが、どのような仕方で来学期ないし次年度の授業の改善に役立つのかまったく示されないままにアンケートをとられることになる。たとえば、調査結果や自由記述はどの範囲の人が読むことになるのか、担当教員だけなのか、それとも共通教育に責任ある立場の人は目を通してくれるのか、こうしたことも知らされない。これはかなりフラストレーションのたまることだろう。こんな不満がありましたから、こんな風に改善することにしましたと、学生にきちんとしたフィードバックをすることが重要ではないだろうか。
 逆に、授業評価法研究者にしばしば見られる(と思う)のだが、濃厚過ぎるアンケートもどうかと思う。たとえば、One-Minute Paperに「今日の講義では話し方は上手でしたか」とか、「黒板の使い方はよかったか」、という調査項目があり、これに毎回答えてもらうのだと言う。すし屋がすしをひとつ握るたびに、「シャリの具合はどうでしたか?」「さびはきつ過ぎませんでしたか?」「ねたは新鮮でしたか?」と聞いてくるとしたらどうだろう? 自分の教え方の質がよいかどうかを常に気にかけているということを学生にアピールすることは重要だと思うが、これはいかにもやりすぎだと思う。教員の自己満足のための「アンケートのためのアンケート」をとるのではなく、アンケートに解答する側の視点に立つことが重要なのではないだろうか?
(情報文化学部・戸田山和久)