コラム:いい教科書を作ろう




 小学校の1年生のときには教科書は学校そのものであったような気がする。真新しい(私の頃は傷んでいないお下がりを上級生からいただくこともあったが)教科書を手にしたとき、ああこれから学校で勉強するんだという覚悟が多少の不安と緊張感のなかからこみ上げたように思う。
 そのうち学校の年輪を重ねていくうちに、なぜか「教科書は通読し繰り返し読むもの」というイメージとはほど遠いものになってしまった。教科書は試験範囲を確認するために読む、教科書は試験勉強のときに繰り返し読む、といった使い方はしたが、教科書を読んで理解することは大変重要なんだ、という教科書への信頼感は形成できなかったように思う。いまにして思えば大変残念です。
 教科や科目の基礎学力は教科書を理解するという自学自習の作業のなかから形成されると考えます。そのためには、「いい教科書」が必要であることを常日頃痛感しています。日本では残念ながらその「いい教科書」に出会う機会が少ないのですが、最近、英国の調査旅行で入手した教科書には感動しました。
 それは英国公開大学の生物学教科書「神経生物学」です。読むのに時間はかかりますが、文系出身の私が楽しめる内容ですし、読み進むうちに自分もやってみようかという蛮勇が湧いてきます。日本のように「サイエンス」の基礎を文系や理系で区別して教えたり、専門でしか学べないとする視点はどこかいびつだと思っていましたので、具体的な解答をみつけたようでこれには嬉しくなりました。
 David Robinson (Ed.) Neurobiology. Biology:Brain & Behaviour series. The Open University, 1998.
 なぜ「いい教科書」なのか。その最大の理由は、上記テキストの序文に述べられている以下の目的を具体的に実現している点につきます。
 「脳と行動の研究は実験科学です。そのことは観察資料の蒐集、観察資料を説明する作業仮説の形成、その作業仮説を検証する実験の実施という手順に参加するということです。本書全体を通して、科学的探究の過程にはさまざまな面があることを強調すること、そして本文の中に質問を挿入することで皆さんを演繹的に考えるプロセスに引き入れることを意図しています。本書の主要な目的は行動と脳の科学に応用された科学的方法を理解することにあります。」
 この他にも、以下のような編集方針にそって学習者中心の哲学がコストを惜しまず実行に移されています。

1 学習者自身の責任で読む進められるように編集・作成されている
2 各章の主題の理解には生物分野の専門知識が前提とされていない
3 学習者の理解と記憶を促したいテーマを論じている場合には、本文中に□ 印で質問を行い、■印で答えを述べる、というパターンを挿入する
4 それぞれ章末には必ず要約の節と学習目標を列挙した節をつけ、それに続けてその目標が達成されたかを自己評価させる問題文(解答は巻末にまとめて提示)を提示している
5 キーワードはすべてゴシックにして見やすくし、巻末の用語解説で改めて説明を行っている
6 資料はオリジナルソースから利用し、適宜わかりやすい図表にする
(高等教育研究センター・池田輝政)