Center for the Studies of Higher Education, Nagoya University


エネルギー問題を考える

柴田 善朗 (住環境計画研究所研究員)


講義概要
 ローマクラブの「成長の限界」の中で論じられている人類の危機の一つにエネルギー問題がある。この問題の背景から将来見通しまでを俯瞰しつつ、重要点や係争事項を取り上げることでより理解を深めること目的としている。
 「成長の限界」に代表されるような複雑でデリケートな問題に取り組む際にマクロな視点と同時に、ミクロな視点も重要であることを説く。'グローバルな問題'というのは、実は身近なところで起こる事象の空間的・時間的累積の帰着にあり、そのことを実感・理解せずしてマクロな動向のみを近視眼的に見据えることは、グローバル問題に取り組み始めたばかりの研究者が陥りやすい欠点であり、是非避けられたいものである。エネルギー問題はマクロとミクロの両観点の重要性を露呈させる興味深いイシューであり、この慧眼を養うための適切な題材である。


講義構成
1. エネルギー問題とは

背景
 身体運動を含めた生物としての人間に必要なエネルギー(新陳代謝)(単位時間あたり)は100W(ワット)(一日約2000kcal)で、これは食糧から得ている。一方、現在、日常生活や経済活動(生産、輸送等)のために全世界平均で人間一人あたり2000Wを使用している。これに人口55億人を乗じてエネルギー消費総量を求めると、年間石油換算80億トンということになる。これは、地球に降り注ぐ太陽エネルギーの一万分の一と小さいものであるが、植物の光合成による太陽エネルギー固定量の十分の一に達している。また、この固定された太陽エネルギー(バイオマス)の25%を、食糧、原材料等の形で直接・間接に消費している。これらの事実は、人類のエネルギー消費量や食糧生産等の文明活動量が、地球上の全ての生命体を維持している全エネルギー量に近づきつつあることを示している。人口や経済活動がこのまま伸びれば、今後百年程度の内に地球の太陽エネルギーの固定量(純一次生産)を人間活動によって全て食い尽くすことになる。
 現在問題となっている地球温暖化は化石燃料の燃焼によって放出される二酸化炭素によって地球が暖められてしまうという別の問題であるが、以上で示された地球の許容量の限度を人々に認識させる一つの良い機会なのかもしれない。

 さて、世界のエネルギー消費は人口の増加、経済発展に伴い加速度的に増加し、40年前までの100年間(産業革命以来)で消費していたエネルギーを現在ではわずか15年間で消費している。石油換算で、米国では一人当たり26リットル/日、我が国は12リットル/日、一方、開発途上国では1〜2リットル/日である。特に化石燃料に関しては地球の営みにより何億年という歳月をかけてつくられたものを数百年という短期間で使い尽くそうとしている。

格差
 エネルギー消費は南北格差が大きく、全世界の人口の24%に相当する先進国が70%以上のエネルギーを消費している。今後、76%の途上国の人々が先進国並のエネルギー消費を目指すとエネルギー多消費から濫費へと事態は悪化する。
 エネルギー消費と経済成長の間にはほぼ相関が見られる。つまり、途上国が経済発展を目指す結果としてエネルギー消量が増大するのは必至である。途上国の人口が将来増加しないとしても、現在の先進国と同量のエネルギーを消費すると仮定すれば、世界のエネルギー消費量は現在の3倍以上に膨れ上がる。
 各国のエネルギー原単位を見てみると、日本が世界の中で最も小さい。これは逆に言えば、エネルギー生産性が最も高いことを意味する。日本のエネルギー生産性は、諸外国と比較してみると、中国の約10倍、旧東欧の8倍、旧ソ連の5倍、中東の3.8倍、ASEANの3.5倍、米国の2.7倍である。

理論的考察
 ものを消費すれば減るという単純なことが本質的に理解されていない。古典力学(ニュートン力学)は永久運動を前提とし、熱力学第一の法則はエネルギーの保存則によりエネルギーの総量は減少しないと言っている。資源の無限性を前提として論じられる多くの経済学理論はこれらの概念をベースとしている。一方、熱力学第二の法則に基づくと、エネルギーの量は保たれるが、質は使用とともに減少される。この考えに基づく経済理論の発展が期待される。何故なら、現在のエネルギー問題は、熱力学第一の法則に反して'エネルギー'が'減少'することによってもたらされるからである。熱力学第二の法則と経済学の融合によって創造される新たな理論、価値観はエネルギー・環境問題を解く鍵となる。従来の経済学が取り扱っていた生産と消費に、新たに廃棄をも対象にして循環型社会の形成を図るにはこの融合理論の完成が必要である。
 エンジニアーはエネルギーの消費と言い、経済学者はエネルギーの生産と言う傾向がある。原油を生産すると経済学者は言うが、実際は地球からの資源の消費である。一方、最終消費の段階では、両者とも消費と言う。
 資源の限界性は、ローマクラブの「成長の限界」のかなり前、実は約150年も前の19世紀中頃に既に危惧されていた。1865年に経済学者のジェヴォンスが著書「石炭問題」の中で、また物理学者のクラジウスがボン大学の講演にて1885年に各々同一の見解を示している。産業革命によるエネルギー資源(当時は主に石炭)の大量消費はいずれ資源の枯渇に至ると。この考えは至極当然のことであるが、その後の経済学者の大半は、資源の有限性を前提にした理論展開をせず現在に至り、専らGDP(経済成長)の増加が善であることを金科玉条の如く主張している。
 経済成長は途上国にとっては喫緊の課題であるが、先進国と同じようなエネルギーシステムに依るのであれば経済成長そのものを支えきれず破綻してしまうことは明らかである。資源の有限性を基礎とした経済理論の活用による政策作りが必要であろう。


2. 様々な対策  - 現状とこれから -

規制
 世界各国にて(我が国では省エネ法によって)、エネルギー消費機器、建築物等に対して、エネルギー消費量の基準を定める法律が制定されている。

税金
 エネルギーの価格を課税等の手段を用いて上げることでエネルギー消費を抑制できるものと思われる。しかし、これはエネルギーを生産要素の一つとして使用している主に産業用には言えることであるが一般家庭に対してはあまり有効な手段とは言えない。エネルギー価格が上昇しているにもかかわらず、消費量が増加している期間もあったからである。石油ショックの時のような激変が作用しなければ、消費抑制効果は働かないであろう。家計のほんの数パーセントしか占めない光熱費が数パーセント上昇しても効果はないのである。

啓蒙活動
 強制や罰則なしに、人々が自主的に省エネルギーやリサイクル等の活動を行っている例も多数ある。しかしゴミの分別収集は強制であり、そのような手間を自らすすんでかける人は少ない。省エネルギーに関しても地球環境への配慮では決してなく光熱費節約(製造業ではコスト削減)のためであるというのが現状である。

国際協力プログラム
 開発途上国に対しての省エネプログラムに国連開発プログラム(UNDP)の「持続可能なエネルギーのためのイニシャティブ」(UNISE)がある。新エネルギー、省エネルギーに加えて新たな社会システム作りを目指している点がこのプログラムの特徴である。エネルギーをただ闇雲に'消費'するのではなく、エネルギーから得られる効用(エネルギーサービス)をより大きくしようということである。都市開発、農村開発、女性と子供の生活の生活環境改善、産業発展等を通じて省エネルギーやエネルギーの効率的利用を促進する。
 この他に、政府による二国間、多国間協力、民間企業、NGOによる活動も活発に行われている。

地域独自のライフスタイル
 鎖国状態の江戸時代では、日本は一つの閉鎖系(Closed System)と見なせる。この状況の中で、生活に費やされる資源が自然の循環サイクルの中に組み込まれていて、ほぼ100%リサイクルされていたと言う。都市でのし尿は農村へ運ばれ農作物耕作に使用され、それらの農作物が都市で販売されていた。また、古着、古道具等の修繕・修理屋が繁盛していた。鎖国状態において、諸外国の化石燃料消費技術が持ちこまれなかったこと、人口が3000万人でほぼ変動しなかったことが循環社会の形成に大きく寄与していた。
 江戸時代は日本独自の例ではあるが、以前は世界各国でこのような循環型社会システムというものが土着文化というレベルで自然に形成されていた。一地域、一都市、一国を一つの有機体と見なしてシステマティックにエネルギーの使用(消費)効率の改善を目指すことが必要であろう。


3. メッセージ

 例えば、農業も耕地を行う時点で既に環境破壊である。それと同様に、エネルギーを使用することそれ自身が既に、'罪'である。何が、どういう方法が、どういう社会システムが最も罪が少ないかを議論することが重要である。そのためにはミクロな知識やミクロからの観点も必要である。例えば、一般家庭レベルでの話しであるが、電気ストーブや電気温水器は最も罪の深いものに挙げられる。これは熱力学第二の法則によって説明される。この様なことを知らずして、マクロなエネルギー問題を論じても'森を見て木を見ず'である。
 逆に、人の行動を聖域としてこれを捨象する工学の観点からのみ機器の効率向上を目指しても、エネルギーを取り巻く経済・社会状況を把握していなければ'木を見て森を見ず'である。
 自然科学から社会・人文科学等、個々の学問は非常に重要なツールであるが、それらを繋ぎ合わせてこそエネルギー問題の全体像を初めて把握できるのである。
 非政府団体や非営利団体等が行っている活動の多くは、その理念は評価すべきものであるが、環境・エネルギー問題の全体像を把握せずして近視眼的に事象を捉えた主張が多いように思われる。このような知的活動なき感情論への訴えは盲目的突進へとつながり、危惧すべきことである。

 エネルギー消費には大きな南北格差が顕在している。経済成長とエネルギー消費の歴史的な正の相関は、この格差の縮小(高レベルでの)がより深刻な危機をもたらすことを物語っている。発展途上国の人々に将来的な経済成長を抑制させる権利は先進国にはない。そこで、この正相関自体を改善することも考えなければならない。そのためには、ライフスタイルを含めたエネルギー効率改善が必要である。ソフト・エネルギー・パスやファクター4に代表されるような、既成概念に囚われないエネルギーの使い方とそこから得られる効用の意味付けの自主的変革を目指していかなければならないであろう。つまり、近代巨大技術(ハード・パス、ハイテク)に頼り、エネルギーがなければそれを作るとか、廃棄物が出ればそれを埋める等の、技術の失敗を技術でカバーするその場主義的な応急処置では問題の根本は解決されない。ソフト・パスやローテクによるタンジブルな技術で受動的にエネルギーを使用するというライフスタイルへの転換が望まれているし、そうならざるを得ない状況が直にやってくるであろう。


参考文献
「なぜ経済学は自然を無限ととらえたか」 中村修 1995 日本経済評論社
「人類の危機 トリレンマ」 電力中央研究所 1998 電力新報社
「循環型社会」 電力中央研究所 1998 電力新報社
「地球環境問題の政治経済学」 寺西俊一 1992 東洋経済新報社
「必然の選択」 河宮伸郎 1995 晦鳴社
「循環の経済学」 室田武、 多辺田政弘、槌田敦 1995 学陽書房
「エネルギーとエントロピーの経済学」 室田武 1979 東洋経済
「孤立する日本のエネルギー政策」 日本弁護士連合会 1999 七つ森書館
「環境経済・政策研究のフロンティア」 環境経済・政策学会 1996 東洋経済新報社
「ソフト・エネルギー・パス」 エオモリー・ロビンス、 室田泰弘・槌屋治紀訳 1979 時事通信社
「ファクター4」 エルンスト・U・フォン・ワイツゼッカー、エイモリー・B・ロビンス、L・ハンター・ロビンス、佐々木健訳 1998 (財)省エネルギーセンター


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