名古屋大学 高等教育研究センター

Interview: シリーズ「名大の未来を考える」 第3回: 21世紀の名大医学教育 山下 興亜 副総長

 今回は、本学最古の伝統を誇る医学部を取り上げます。医学教育の今日的課題、独立行政法人化論と医学教育の関係、先端医学の方向性などについて、勝又義直学部長に尋ねました。インタビュアーは、池田輝政教授(高等教育研究センター)です。

とき:1999(平成11)年12月9日(木)午後2時
ところ:鶴舞キャンパス 医学部長室

変わる法医学

池田:今回のインタビューのテーマは21世紀の医学教育についてです。最初に、先生のご専門である法医学についてお話しいただけますでしょうか。
勝又:これまでの法医学は、裁判科学とか裁判医学のようなところからスタートして、犯罪捜査の手助けをするという性格が強かったのです。それがだんだんと、医学と法律の接点、あるいは医学と社会の接点に注目するという、本来の趣旨に戻りつつあります。ご存じの通り、医学技術の進歩に伴って、その成果をどう利用していいのかという事態が多く発生しています。たとえば脳死、遺伝子治療、遺伝子診断、あるいはクローンの問題とか、臓器を作ってしまおうという動きなどです。こうした動きに対し、法医学も本腰を入れて対処しなければなりません。医学研究をどんどん押し進めるのと同時に、社会とのすり合わせが重要になってきて、法医はそこにかなり関与せざるを得なくなっています。医学系の大学は全国に約80校あり、すべて倫理委員会を設けていますが、ほとんどの大学では法医学の先生が委員会の中に入ってます。
池田:法医学の基礎となるディシプリンというのは、どういうものなのでしょうか。
勝又:法医学では、患者と医者の関係のあり方を原点に考えます。ときどき誤解されるんですが、法医学は法律そのものにあまり重きを置かない、というのが私の考え方です。ベースにあるのは医師と患者の人間関係、あるいは社会と医学界の関わりであると捉えています。

医学教育の現状

池田:なるほど。では次に、名古屋大学における医学教育の改革課題についてお尋ねします。現状はどうなっているのでしょうか。
勝又:医学教育全体としては、どんどん新しい知識がはいってきて、教えなければいけない内容が加速度的に増えています。学生も大変です。特に分子生物学の発展に伴って、膨大な知識、生物学上の知識が入ってきて、新しい治療法や薬品がどんどん生まれるという状況です。実にめまぐるしい環境の中で教育しなければなりません。ですから、必要なものはきちんと教えなければなりませんが、あまり先端的なことを追いかけすぎると、情報の洪水の中に学生を放り込んでしまうということになりかねません。どこまで教えるべきかというコンセンサスは、各大学の裁量に任せられていて、そこに先生方の苦労があります。
池田:そうすると、カリキュラムが重要ですね。
勝又:その通りです。全体の流れとしては、大人数の講義から少人数の実習的な教育にだんだん変わりつつあります。すべての知識を完璧に学習するよりもむしろ、症例なり具体的な事例を学ぶことによって、医学的な思考法をマスターし、不測の事態等に対応できる能力を身につけるというようなスタイルですね。
池田:ケースから入っていくのですか。
勝又:そうです。その方が、学生にとってもとっつきやすいようです。たとえば、患者さんは自分でこういう病気ですといって来院するわけじゃない(笑)。この病気だという前提から出発する教科書的な知識では対応できないんですよ。体系的な知識を身につけることと、現場で対応をすることは別なのです。お恥ずかしい話ですが、名大だけに限らず、伝統的に医学部では講義の出席率が低い。学生は臨床実習には出てくるのですが、講義はさぼってしまう。しかし、本を読んで本当に勉強してるかというとそうでもない。そんな具合で患者さんのところへ出て行きますから、後でとても苦労するんです。こうした悪しき伝統を反省して、現在では少人数制による、いわゆる問題解決型の教育手法を取り入れる動きが活発になっています。これは、ケースに直面した時に、自分なりに一生懸命考えて問題を解決する能力を身につけさせることを目的としています。もう一つの教育手法として、チューター制度があります。学生が指導者から与えられた課題に取り組む中で、彼らが迷走しないようにチューターがアドバイスを与えるというやり方ですね。
池田:ティーチングのコストがいっそう増えることになりますね。
勝又:そうですね。学生を少人数単位にして、それぞれに教官を配置するわけですから、当然スタッフがたくさん要りますし、時間もたくさんかかる。こうした背景から、名古屋大学の医学部では98年12月に、教授会メンバーがほとんど全員参加して、医学教育に関するワークショップを開催しました。休みの日に一泊がかりで、手弁当でやったんです。
池田:誰が音頭をとられたのですか。
勝又:学部教育委員会の提案で、当時の学部長が号令をかけたのだと思います。いらい、若手教官も一緒になって5回にわたって実施しております。およそ医学部全教官の3分の2から4分の3くらいは、すでに、この一年で何らかの研修を受けています。
池田:すごいですね。そうした研修は誰が組織するのですか。
勝又:学部教育委員会のメンバーです。特に臨床系の先生方はすごく熱心でして、名大病院の将来とか、あるいは大学における臨床教育のあり方、医学教育全体のあり方に大きな関心を寄せている若手の先生が大勢いますよ。
池田:医学部の先生というのは、いったんやりだすと、すごいエネルギーを発揮しますね(笑)。
勝又:裏返せば危機感の表れだろうと思いますよ。大学病院というのは今まであまり経営問題について考えてなかったし、採算的にもよくわからないようなシステムでやってきましたからね。しかし独法化という問題を突きつけられてみれば、国民の税金を使っている以上、我々は学生にきちんとした教育をして、本当に優秀な医師を社会に送り出す責任を無視できません。あるいは、大学病院として本当にいい医療を提供しなければなりません。個々の医療の単価が抑えられている状況下で、どうやったらそれを実現できるのか、これはもう大問題なんですよ。医学医療も実は大変な時代を迎えていまして、大きな病院は軒並み赤字でやってます。大学病院も例外ではなく、独立採算なんて言われたら、とてもやっていけません。

今後の医学教育の方向

池田:そうしますと、今後の医学部なり医学教育というのはどういうふうに変わっていくのか、依然として変わらないのか、いかがお考えですか。
勝又:たとえば、独立行政法人化がもし仮に行われ、さらに独立採算制に移行した場合、授業料あるいは入学料をかなり値上げせざるを得なくなるでしょう。医学はほぼ全科必修なので、ものすごくお金がかかるんです。もし、自分の力だけでやりなさいということになれば、教育の質を落とすか、あるいは授業料を上げるしか方法がありません。ポジティブな面を申し上げれば、10年後にはカリキュラムがもう少し整備されて、実践的な教育が可能になるでしょうね。学生さんにとっては大変な時代です。同時に、教育の評価、すなわち教官が教育にどこまでコントリビュートしたかを、いかに評価するかという問題が浮上するでしょう。
池田:医学部のプロフェッショナルスクール構想はどうなっているのですか。これまでとは異なる人材を養成するということですか。
勝又:それはおそらくメディカル・スクールのことですね。つまり、基本的には他学部を卒業して、いったん社会に出た方が医学部に入るという制度です。米国のように、大学院段階になってから医学専門教育を受けるやり方です。現状では、高校を卒業して直接医学部に入るため、ともすれば純粋培養的になり、物事を医学の面からしか見ないような医者が養成されるという問題点はたしかにあるんです。多様なバックグラウンドをもった人たちが医学部に入学できるようになることは、それなりの意味があります。
池田:入口が異なりますから、養成される人材の質も違ってきませんか。もし実現されると、カリキュラムは二本立てになるのですか。
勝又:ここが難しいところですね。メディカルスクール構想を若干先取りしたシステムとして、今かなりの大学で3年次編入が実施されています。つまり3年生から6年生まで、4年間の勉強で医師になるわけです。ただし、どの大学も現時点では5人とか10人に定員を絞っています。入学してから必要に応じて補習期間を設け、あとは正規のコースに合流するという方式が一般的です。
池田:3年生から入ったのでは、かなりインテンシブに勉強しないと、ついていけませんね。
勝又:そうでしょうね。一番の問題は、3年次編入に先駆けて6年一貫教育を作ってしまったことです。アーリー・イクスポージャーなどと言って、医学部の専門授業を1年生、2年生のカリキュラムにどんどん入れてしまいました。たとえば、2年次に解剖学や生化学を済ませますので、3年次に解剖学はないのです。こういうカリキュラム上のすり合わせ問題が山積していますので、うちの学部ではメディカルスクールの具体的な検討には慎重な姿勢をとっています。
池田:アーリー・イクスポージャーを進めると、教養教育とのバッティングも起こりますね。
勝又:そうなんです。教養教育とのバッティングも起こるし、3年次編入ともバッティングする。どこも苦労されてるようですよ。工夫したところほど苦労するんですね。むしろ、教養教育の枠が2年間と決められていれば、どの医学部でも3年次編入が簡単に実施できたと思うんですが。
池田:そういう見方もありますね。どこの学部もカリキュラムの調整には苦心されておられますね。

新しい医学教育の胎動

勝又:そういえば、私の専門のDNAの話がほとんどなかったですね。失礼しました(笑)。ちょっとだけ、お話させてもらってもいいですか。
池田:どうぞ。
勝又:ちょうど今ミレニアム計画といって、5省庁が数百億円の費用をかけたいろんなプロジェクトが進行中ですが、その中で遺伝学がかなり大きなウエイトを占めています。そもそも今までの医学というのは、人間一人一人をみな同じ生物として扱ってきました。だから、そこから発生する病気も同じものとして扱ってきたのです。しかし、遺伝的にみると人間はみんな違います。今や、個人識別とか親子鑑定をやりますと、たった12、3のタイピングをするだけで、10兆人にひとりぐらいの個人識別が可能なのです。
池田:10兆人にひとりですか。実感が沸きませんね。
勝又:ヒトは巨大な遺伝子プールなんです。今までは体質的な問題で片付けられてきたんですが、もう少し科学的に調べて、その人に合わせた医療をする時代が来るでしょう。いわゆる、テーラーメイド医療と呼ばれるものです。病状の寸法をとって、治療するわけです。
池田:既製服の時代は終わりを告げそうですか(笑)。この方式は、現行のカリキュラムに反映されているのですか。
勝又:少しずつ導入されていますよ。たとえば選択医療の中で遺伝子医療という選択授業をすでに実施しています。
池田:なるほど。貴重な知見を提供していただきました。分かりやすく説明して頂き、ありがとうございました。これでインタビューを終わらせていただきます。